フリーライター五十嵐まや子の 「ほっ♪とライフ・ラボ~ココロとカラダのマルチビタミン」
フリーライター五十嵐まや子のブログ。専門分野の日本史、心身の健康、医療情報の他、日々の思いなど取り揃えております。プチっと元気(^_^)分かち合いましょうo(^_^)o

プロフィール

MAHHYA

Author:MAHHYA
フリーライター五十嵐まや子です(^_^)
日本史・心身の健康・医療を得意テーマとし、単行本、雑誌、Webなどにて多数執筆しています。
また、塾講師として受験生に日本史の講義をしています。
誰だって、多かれ少なかれ、カラダやココロに不調を感じることはあるもの。
いつも元気でいなきゃいけないっ! なんて、気張ることはないのですo(^_^)o
自分らしい「ほっ♪とライフ」、一緒に探していきましょう~♡
免許など : 中学社会・高校日本史教員免許
      空手初段

●もうちょっと詳しいプロフィールは「リンク」からどうぞ♪



著書

図解 「これだけ! 」日本史 (三笠書房/知的生きかた文庫) 五十嵐まや子(著)、加来耕三(監修) ◎「読んで」わかる、図解で「見て」わかる! 2時間で、「この国の3200年」がわかる本



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歴史がスキになったワケ



中学生の頃から、母と一緒に京都奈良鎌倉などのお寺に、仏像を見に行っていました。
最初は母に誘われるまま見ていましたが、やがて仏像の美しさ、力強さ、奥深さ、創った人の思い……
さまざまな魅力にハマり、古都をめぐる楽しさにハマり、歴史への興味が芽生えました。

 そして大学受験のときに選んだ日本史……
「教科書に載っている文化財、だいたい見てるじゃん」ってことで、当然の成り行きで歴史が大好きになりましたo(^_^)o

 そして、衝撃的な司馬遼太郎の竜馬がゆくとの出会い……。

全八巻、息着く間もなく読みきりました。

それを皮切りに、次から次へと歴史小説を読み漁り、大河ドラマを見まくり、史跡を訪ねまくりました。

 子どもが生まれて、旅に出ることはできなくなってしまいましたが、子どもたちがもう少し大きくなったら、また史跡や仏教美術をたずね歩きたいと思ってます(^_^)v

最近「歴女」という言葉が流行りだし、おお、やっと私も日の目を見たか……と思いました。
20代のころは、正直、話の合う友人は1人もいませんでした。
しかも、なぜかオジさんたちには受けていました。。。

最近になって、夫がやっと歴史の話題に付き合ってくれるようになりました。
ってことは、夫もオジさんになったのか?

イヤイヤ、私の趣味が浸透してきたのだろう(と、思うことにしよう!)



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「富士の裾野」曽我兄弟の仇討ち


箱根を散策しているとき、曽我五郎が刀の切れ味を試したとされる「割石坂」という巨石
を見つけました。

割石坂


「一富士、二鷹、三なすび」といえば、初夢で見ると縁起がよいと言われる有名な仇討のお話。

その「一富士」が、富士の裾野の曽我兄弟の仇討です。

 時は、鎌倉時代。
曽我十郎、五郎の兄弟が、親の敵、工藤祐経を討ったお話です。

ことの発端は、曽我兄弟の祖父でもある伊藤祐親という人が、年下いとこの
工藤祐経をだましてその所領を奪ってしまったこと

何も知らずに伊藤祐親の娘と結婚した工藤祐経は、のちにその事実を知りますが、
伊藤祐親はうまいこと立ち回って所領を正式に自分のものとし
文句を言った工藤祐経から、妻をとりあげてしまいます
こんなことされたら、誰だって頭きますよねー。

で、工藤祐経は伊藤祐親を討とうとしたのですが、間違って不幸にも曽我兄弟のお父さんである河津祐泰を殺してしまったのです。

河津祐泰の妻は曽我祐信という人と再婚し、十郎、五郎は曽我家で育ちます。

そして、源頼朝が富士の裾野で「巻狩り」という狩を兼ねた軍事演習をした折に、
曽我兄弟は親の敵の工藤祐経を見事に討ち果たします

ざっというと、こんなお話ですが、私は個人的に工藤祐経がとんだ災難だったなーと思ってます。

だって、もともと悪いのは、伊藤祐親だもんねえ

しかし、曽我兄弟の物語は美談として浮世絵や能、歌舞伎なんかにもなり、
大人気を博したそうです。

でもでも、工藤祐経にもそれなりの事情があったんですよ~(涙)


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NHK「歴史秘話ヒストリア」の「新撰組」を見ました



昨日、NHK「歴史秘話ヒストリア」を初めて見ました。
http://www.nhk.or.jp/historia/index.html

大好きな新撰組の話でした。

なぜ、新撰組が好きか、というと話が長くなるので割愛しますが(^_^;)、
やはり、新撰組の中枢を担った近藤勇土方歳三沖田総司の三人にスポットを当てた内容でした。

その中で、有名な「池田屋事件」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%A0%E7%94%B0%E5%B1%8B%E4%BA%8B%E4%BB%B6


についての話が興味深かったです。

この事件の発端としては、尊攘派古高俊太郎新撰組に捕まり土方歳三から
激しい拷問を受けて、
京都焼き打ち・天皇誘拐(尊攘派からすれば「長州へお移し奉る」ということですが)
の計画を自白させるというのが、一般的によく知られた話です。

ドラマでも、土方が古高を拷問するシーンは、よく見られます。
目を覆うばかりの拷問だったといいまね。

しかし、番組の中では
「池田屋事件そのものの資料は乏しく、この拷問も後世の作り話だ」
という歴史専門家の話があったのです。

新撰組「使命に一途で颯爽としている」という印象があるとともに、
仲間の粛清」という暗いイメージもつきまとっています。

この、有名な土方の拷問も、新撰組の陰惨なイメージを強くするものですね。

これがなかったとすると、新撰組ファンとしてはホッとします(>_<)

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ただ、その根拠は「資料がない」というだけなのが、
ちょっと残念というか、おしいっ、という感じのするところです(^_^;)。

拷問はなかった」という、積極的な資料があると、
より枕を高くして(!)、堂々と寝られるところだったのですがっ。



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NHK「歴史秘話ヒストリア」の「新撰組」補足です



5/14に、NHK「歴史秘話ヒストリア」の「新撰組」について、感想を書かせてもらいました。

http://igarashilabo.blog37.fc2.com/blog-category-19.html

従来、土方歳三が古高俊太郎に行ったとされる拷問は、なかったようでほっとした
という話ですが、実際は違っていたようですm(_ _)m

相互リンクさせてもらってる「あさぎ」さんのブログ
「新撰組屯所」
http://55hougyoku.blog13.fc2.com/

で、インタビューに答えていた中村武生先生のブログが紹介されていました。

歴史と地理な日々
http://siseki-kukan.way-nifty.com/heiankyokyoto/

それによると、

>永倉新八の手記「浪士文久報告記事」に、「拷問ニカケ」たとあるので
>(木村幸比古氏『新撰組日記』70ページ、PHP新書)、拷問はあったと思う。
>…が、拷問があったとしても、それが6月5日(事件当日)のことなのかは分からない。

>…「自白情報をもとに(浪士の暴動)計画を防ぐため新選組が出動した」という部分が、
>従来の説のなかでもなりたちがたいといいたかったのである。


とのことです>_<

そうかあ、やはり、拷問はあったのかあ~。
鬼の副長だもんねえ、仕方ないかあ…。

土方さんという人は、応援してくれていた多摩の人々や、近藤・沖田・井上など、本当に昔から心を許している人には、細やかなやさしさを示す一方で、
「敵」に対しては、苛烈ですね…。

 試衛館時代から一緒にやってきた山南敬介に対してですら、最終的には「切腹」という厳しい判断を下せたくらいだし…。

 写真に残る土方さんの優しげな面ざし、故郷の日野にかざられた流麗な川柳、
そして、故郷の人々を思いやる数々の手紙


二面性などという、簡単な言葉で片付けたくはないのですが、
彼の心を知りたいと思う人があとを絶たないのは、
彼のこんな面にあるのかもしれませんね…o(^_^)o


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今に残る歴史は「勝者の歴史」デス



 大河ドラマ天地人」、
なかなか時間がなくて遅れ遅れに録画したのを見てますが(^_^;)。

明智光秀石田三成の描き方は、いわゆる「ステレオタイプ」ですねえ~
(ま、主役は直江兼続だからしょうがないのかも>_<)。

最近は、ゲームアニメのおかげで、こういった敗将もかっこよく描写されるようになったようで、
まあ、内容はともかく(!)少しほっとしていたところでしたが…。

少し詳しい方なら、明智光秀石田三成も治世者としては非常に優秀で、
自分の領内では非常に信頼が厚かったということをご存知だと思います(^_^)。

いずれも、とても真面目で確固とした信念があり、自分の欲得より周囲を気遣える人たちだったといいます。

でも、運悪く、負けてしまった

ただ、それだけで、何百年たっても「情けないやつ」「謀反人」などという、評価がつきまとってしまうのです。

私の大好きな新撰組も、司馬遼太郎さんが燃えよ剣」を発表するまで、
世間では極悪非道の集団とされていたそうです
(これは、明治政府を主導した薩長閥の思惑ですね)

勝てば官軍とは、確かにその通りですが
勝者の歴史」に惑わされてはいけない
と思います。

真実が、ありのまま世の中に広まることは難しいことなのでしょうね(>_<)。

アンテナをしっかり立てて歴史的事実を理解し、自分なりの判断をしなければいけないな、
と、私は常に思っています。


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奈良の「箸墓古墳(はしはかこふん)」は卑弥呼の墓?

奈良県桜井市の「箸墓古墳」から出土した土器が、
卑弥呼の死亡時期と重なっていることがわかったそうです。↓
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090529-00000538-san-soci


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箸墓古墳3世紀末~4世紀はじめごろに作られたと推定されていて、
邪馬台国畿内説」の根拠ともされている古墳です。

年代の測定方法はいろいろあるそうですが、今回は「放射性炭素年代測定法」という方法で、
科学的に分析したのだそうです!

これは、土器に含まれるわずかな「炭素」崩壊率から
年代を測定するという方法なのだそうです
(ムズカシ~! ので、ものすごく、簡単に説明しちゃいました(^_^;)

邪馬台国の位置については、「九州説」「畿内説」の2つが有名ですね。

これで、また畿内説が有力になるのかな?

ちなみに、昨年、公開された「まぼろしの邪馬台国
http://www.mabotai.com/

という映画は、九州島原に生きた盲目の郷土史家宮崎康平が、
奥さんと二人三脚島原に邪馬台国があったという証明をしていく話です。

各地の郷土史家には「おらが土地に邪馬台国があってほしい」という、
それぞれの思いがあるのでしょうね。
それもまた、素敵な姿勢です。

どこにあったかわからないから「いにしえを考える」考古学。

そのネーミングが、遠慮がちでななんだかいいなあと、私は感じますo(^_^)o

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眠れぬ夜に、河合敦先生の「早わかり日本史」



夕べは、夜中に目が覚めたら寝付けなくなっちゃって
しょうがなくて、そのまま朝まで起きていてしまいました

なんだろ、年かなあ~(ToT)
いやだなあ~…

で(気を取り直してっ)、最近リニューアル出版された、河合敦先生

早わかり日本史
http://books.yahoo.co.jp/book_detail/AAT69491/

を読んでました。
「世界一受けたい授業」で有名な、河合先生です(^_^)

私は以前ブログで、「邪馬台国」の場所はどこでもいいかな~、なんて書いたのですが、
その本によると、邪馬台国がどこにあったかによって、

日本の歴史は変わってしまう
んだそうです!

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九州にあった場合、3世紀の時点ではまだ日本に統一王朝成立していなかったと考えられるそうです。

一方、大和・畿内にあった場合は、九州から畿内にかけての、
強大な広域連合王国がすでにあったと
考えられる、とのこと…。

つまり、九州だった場合、日本はまだまだ小国分立の真っただ中で、
邪馬台国も、その中の小さな国々の一つだったということになってしまうようです。

邪馬台国って、日本初の広域王朝だったって、習ったはずだったのに~。

明け方5時半、「えっ、そうなの!?」
と、思わず声をあげてしまった次第です(^_^;)

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なんだかんだいって「戦国時代」は人気あります!


 日本人は戦国時代が好きらしいですo(^_^)o。

NHKの大河ドラマをとりあげてみても、51作中16作品が戦国時代
全体の3割戦国時代が占めています
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%B2%B3%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%9E

 また、戦国時代ものは、幕末動乱ものと並んで視聴率がいいそうですね。

 近年はやりの歴史物ゲームも、扱っているのは戦国時代
ブームとなっている歴女も、ファンは、なんといっても戦国武将がお好みのようです(^_^)。 

 従来のファン、いわゆる「オジさん世代」は、戦国ものを自分の出世仕事に置き換えて見る傾向があります。

 群雄割拠する中、下剋上あり裏切りありの中で、智謀に長けた人々がのし上がっていく姿は一種
そう快感
がありますからね~。

 そして、どこの時代、どこ地域を切り取っても、お家ごとにさまざまなストーリーがあります。
 とにかく、戦国時代は話題が豊富、そして劇的\(◎o ◎)/

 ただし、決して、サクセスストーリーばかりでなく
人を人と思わないような残酷な戦いの中で、無残に命を落としていくという話もいっぱいあります(>_<)。

現代の出世や仕事と違って、本物「命」がかかってたんです。

歴史は、作り物のドラマではありません
今に生きる私たちは、戦国時代に限ることなく、先人の知恵や知略学ぶべきだと思います。(^_^)


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「新撰組」が好きなわけ~変節しない強い心~



今さらですが、私は幕末に京都で活動していた新撰組が大好きです(^_^)


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私は司馬遼太郎先生の「竜馬がゆく」を読んだあとに
「燃えよ剣」という、新撰組副長の土方歳三を主人公にした小説を読みました。

で、気づきました。

新撰組は、変節しない…ってこと。

坂本竜馬は、
ペリーが来航した当初、ほとんどの日本人がそうだったように
佐幕(幕府を助ける)攘夷(外国人を打ち払う)」という考えを持っていました。

しかし、勝海舟との出会いによって「開国派」に、変節します。

もちろん、その考えは広い意味で正しく
日本はその後、開国へと突き進んでりっぱな近代国家となりました。

しかし、新撰組は、ある種「愚直」なまでに徳川幕府を守り続けて戦います。

でも、私はこの新撰組の姿勢を、「強い信念」と受け取りました。

最近の言葉でいうと「ブレない」ってやつですね(^_^)

おそらく、最終的に幕臣までのぼりつめた局長の近藤勇は、
日本の行く末や幕府の行く末をある程度は見通せていたはずです。

でも、最後まで、幕府を裏切ることなく
自分たちの道をまっしぐらに突き進みました。

副長の土方歳三は、その近藤を信じて支え続けました

そこに、日本人に見られがちな「日和見主義」とは違う、
「気概」を感じるのです

(あ、ちなみに坂本竜馬が日和見だったとは言ってません。
坂本は坂本で、高い理想を持っていた人ですから)。

もちろん、大局からすれば新撰組の選択は間違っていたのでしょう。
新撰組には目を覆いたくなるような暗殺劇もあり、決して美談ばかりではありません

でも、不器用なほど強い「気概」に満ちた新撰組は、とてもさわやかな印象を残すのです。

ちなみに、東京人の私としては、東京多摩出身の彼らにシンパシーを感じる面も、
とってもあるのですが(^_^;)

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最近「白洲次郎」って、よく聞くようになりましたよね?

最近、というかここ数年でしょうか、
「白洲 次郎」
という人が話題に上るようになったなあ、と感じてました。


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ドラマになったり、白洲次郎が住んでいた「武相荘」の一般公開ツアーがあったり…。

正直、名前も知らなかったし、何をした人かも全然知りませんでした(^_^;)

白洲次郎は、第二次世界大戦後、
吉田茂の右腕となって政界を支えた人だったんです。

その後、東北電力の会長などを務めましたが、
ある時期を境に表舞台から姿を消してしまったそうです。

 それが、2000年前後、相次いで彼の生涯を描いた本が出版され、
その「かっこいい生き方」に注目が集まったんだそうです(^_^)

どんなふうにかっこいいか、というと…

大富豪の家に生まれ、17歳でケンブリッジ大学に留学。

・ 若くしてイギリスの上流階級の人々と交わっていたため、
日本人らしからぬ堂々とした態度で外国人と接することができた。

・ スラリとした長身のイケメンで、当時日本では珍しかったロレックスなどの
ブランド品をサラッと身につけ、高級車を颯爽と乗り回していた。


…もちろん、外見的なことだけでなく、その生き方もまた、かっこいいのです。

 戦後、GHQに占領され、
アメリカ人にヘコヘコしてしまった(!)日本人

その中で、ただ1人、GHQからの命令が不当なときは
はっきりと意見を述べていたのが
白洲次郎その人でした。

単なる取次ぎ官ではなく、たとえおエラ方からの命令でも、おかしいと感じることにはしっかり抗弁し
日本の立場をきちんと守ったのだそうです。

 その姿はGHQの高官たちにも、尊敬され、一目おかれる存在だったといいます。

「敗戦国であっても、勝った国に対して卑屈になる必要は決してない

白洲次郎はその考えをしっかりと貫き、実際、堂々と行動に現しました

敗戦ですっかり元気をなくしていた日本人が忘れがちだった、「自尊心」を取り戻すべく、
身を持って行動した人なのです。

そして、自分の役目が済んだらサッと身を引き、
その後いっさい表舞台には出てこなかったとのこと。

 戦後すぐの日本に、こんな颯爽とした生き方をした人がいたなんて…
…なんて、すばらしいんでしょう!!

歴史上の人物に学ぶことは、本当に多いものですが、
在野にはまだまだ知られていないすごい人がたくさんいるのでしょうね、きっと…。

もっと、もっと、歴史を勉強したい…
そして、少しでも「かっこいい生き方をした人に学びたい」

…なんか、改めてファイトが沸いてきました~(^_^)/

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遅ればせながらNHK「歴史秘話ヒストリア 亀山社中」見ました!

録画したはいいが、見るものがどんどんたまっていく中、やっとこさ
「歴史秘話ヒストリア 坂本龍馬の亀山社中」
を見ました(^_^;)



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考えてみると、坂本龍馬は決して、成功ばかりしていたわけではないんですよね。
亀山社中を作った当初は、金銭的にも苦しかったし…。

せっかく手に入れた船を沈没させてしまったり、
藩内の弾圧や池田屋事件、海難事故などで
大切な仲間を失ったり…。

 でも、龍馬のすごいところは、
あの時代に「世界」に目を向けていたというところでしょうね。。

身分差に厳しかった土佐藩出身だったからこそ、
身分の上下などがない理想の世界を求める気持ちが強かったんでしょう。

(それを「奇兵隊」という形で、
実行した高杉晋作もしかりですが…)

 この番組で触れていた、町人出身近藤長次郎も、同様だったはずです。

世界に目を向けたからこそ
心の狭い連中に「武士として切腹しろ」などと、
不条理な要求されてしまったんですね。

 あの当時、本当に平等な世の中、
力のある者が才能を生かして生きていける世の中を作ろう、と
本気で考えていた人は、どのくらいいたのだろう…と、思ってしまいます。

実際、明治維新の中枢を担ったのは「元武士」「元公家」…。 

 「勝ち組」「負け組」なんて、言葉を平気で使う現代も行き過ぎだと思いますが(^_^;)、
幕末という時代の過渡期、何が一番大切か見抜いて行動していた人は、

実はほんのひとにぎり
だったような気がしてなりません。

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中場利一さん「バラガキ」を読みました(^_^)

あさぎさん
http://55hougyoku.blog13.fc2.com/

桃源児さん
http://t-genji546.at.webry.info/

が、新撰組の土方歳三を主役にした
「バラガキ」、なかなかおもしろいと、書いていらしたので読んでみました。


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ん~、予想はしていましたがやはり「中場カラー」ですね(^_^;)

バラガキ1


茨のようなトゲを持った悪ガキ、
土方さんが、江戸で京都で大暴れです。

ある程度、幕末の歴史頭に入っている人にはよいかもしれませんが、
歴史物と思って読むと、新撰組が京都で暴れる背景意味
いまいちよくわからないかも~(ToT)

また意味ありげな「土方さんをしつこく追いまわす口をやけどした男」、
突然登場して「土方のハートを射止めた娘」の役割が、
最後までどうもよくわかりませんでした。

前者は単なる不良少年から決別して
新撰組副長となるためのきっかけ役(そのわりに簡単にやられちゃうけど…)、

後者は土方さんにもこんな面があるんだよ~と、
彼の性格を表す読者サービス、といったところなのかなー、
とがんばって解釈してみまししたが…。

歴史物と思わず
1人の男の「青春グラフティ」として、
読めばおもしろいと思います。

また、新撰組が京都で名を馳せる池田屋事件」まで
というのがいいですね。

ここから、新撰組は良くも悪くも大きく展開してしまいますからね。

その意味では、「バラガキ」というタイトルは、
なかなか味わい深く、よく練られていると思いました(^_^)


「上杉景勝」がどんどんかっこよく見えてくるんですけど…



最初は「ええ~、悪人顔北村一輝が、上杉景勝~?!」と、
思って見ていた大河ドラマ「天地人」。


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しかし、回を追うごとに、実はこの人けっこうすごいんじゃないか…と、
思うことが多くなりました。

あ、この人、というのは北村さんではなくて(ま、北村さんの演技も含めてかな^_^)
上杉景勝のことです。

一見、直江兼続の言うことばっか聞いてるようにも見えますが(^_^;)。

しかし、です。

まずぐっと来たのは、武田から嫁いできた菊姫に向かい、
武田が滅びたあと

「私は人質としてではなく、夫としてそなたを守る」と、
言ったあたりからでしょうか…。

 あ、不器用だけど、芯が通っている…と、感じさせられました。

秀吉が上杉家を訪れたときや、上洛したときなども、
その落ち着いた振る舞い
堂々としていたはず

こびへつらう大名たちの中で、おそらく異彩を放っていたと思われます。

 千利休には「愚直…」とも言われていましたが、
動じることもなく、そのくせ茶の湯なんかはきちんとこなして
何気なくりっぱな紳士然としてるんですね。

 京都で兼続の評判が高まっても
そちの好きにしたらいい」と、なんとも懐の深いところを見せます。

ふつう、動揺しますよねえ
自分より家臣のが評判よくなっちゃったら…。

これは、確かな史実なのかどうかはわかりませんが、
兼続が切られたときには、越後を上げて豊臣秀吉を成敗しに来る
としたためた書状のエピソード。

一家臣のために、そこまで思いきれる情の深さって、
ものすごい…と、思いました。

 兼続は、懐が深く、信に厚い景勝に使えたからこそ、
その実力を発揮できたのではないか…と、思います。

後年には、豊臣家の五大老にも抜擢された景勝は、
正に上杉謙信の「義の心」を受け継いだ
りっぱな武将だったのだと思います。

 しかし、主役よりもそうじゃない方に、
ついつい目が行ってしまう私は、
まず、ひねくれ者なのかもしれませんね(^_^;)

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宮崎の「冷や汁」が山形にも存在するワケ



何かと話題の東国原さんがいらっしゃる(^_^;)
宮崎県

ここに、夏の風物詩として
冷や汁
という食べ物があります。

冷や汁は、麦飯に冷たいみそ汁をかけて食すという、
なかなか豪快な料理です。

一見粗野なようでいて、魚や豆腐みそ、シソ、キュウリなど、
さまざまな食材が入った健康食なんです。

家庭によって、入れる具材もさまざまとのこと。
もともとは、忙しい農作業の合間に食べたり、
陣中食としての歴史もあるといいます。

 ところで、この冷や汁、宮崎県から遠く離れた、
山形県にも存在するそうなんです。

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これは江戸時代日向高鍋藩秋月家(つまり宮崎県)から
上杉鷹山(ようざん)が、

北国の米沢に養子に入ったことと関係があるそうです。

鷹山は徹底した倹約政策で、
ヨレヨレだった米沢藩の財政を見事に立て直したことで知られる名君

一時期、ビジネス書関連で、
やたらと注目を集めましたよね(^_^;)

冷や汁は、麦や米といった炭水化物
みそや魚を使ったたんぱく質
さらに野菜が加わった、

バランスのとれた超ヘルシー食です。

フエーン現象で、夏には猛烈な暑さとなる山形には、
まさに持ってこいの料理だったんですねo(^_^)o

ちなみに鷹山は、それまで上杉家を没落させたとして評判の芳しくなかった

直江兼続
の功績を見直し、
その政治手法に学んだことでも知られています。

2009年、直江兼続がヒーローになれたのは
上杉鷹山のおかげでもあるんですね(^_^)

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山田辰夫さんの演じた薩摩藩士「柴山愛次郎」



俳優の山田辰夫さんが亡くなられましたね(>_<)


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私が、初めて山田さんを見たのは、
ずいぶん前の大河ドラマ
「翔ぶが如く」柴山愛次郎役でした。

柴山愛次郎は、寺田屋騒動」で、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BA%E7%94%B0%E5%B1%8B%E4%BA%8B%E4%BB%B6

同士討ちに遭った薩摩藩士です。

当時、上洛しつつあった島津久光は、
公武合体(朝廷と幕府が手を携えて、幕府の威信をとりもどすこと) 」の
考えを持ち、倒幕は考えていませんでした

ところが、薩摩藩士の中には倒幕を目的とした過激派がおり、
京都の寺田屋に集まり、当時はやりだった(?)「誅殺」の
計画を固めていたのです。

その急進派のメンバーにいたのが、柴山愛次郎です。

島津久光としては、こんなところで事を起こされては大変
ということで翻意を促しましたが、彼らは聞き入れませんでした。

で、上意討ち(つまり、薩摩人同士で殺しあった)
ということになったわけです。

なんとも、悲惨な話です。
藩士の命なんて、お殿様から見たら軽いもんだったのでしょうね…。

これは、司馬遼太郎さんの原作にも出てくるシーンなのですが、
鎮撫使たちが必死に計画をやめるよう説得する中

柴山愛次郎が静かに進み出て

「殿の上意とあれば、薩摩藩士としてそむくわけにはいかない
かと言って、自分の信念を曲げることもできない
ここは一番、おいが討たれもんそ

と(方言、違ってたらごめんなさい。こんな感じだったと思います(^_^;)言ったのです。

山田さんが演じた柴山愛次郎は、決意のこもった
それでいてとてもすがすがしい表情で、こう言い切りました。

そして、自分はいっさい反撃することなく、
同じ薩摩藩士の山口鉄之助に斬られて死ぬのです。

あまりに、悲しく衝撃的であり、
そしてこの山田辰夫さんの顔があまりにおだやかで、
私の中では、忘れられないシーンです。

その後の薩摩の暗躍ぶりを見るにつけ、
こんな純粋な人材を失った代償は、とても大きかったのではないかと思うのです。

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源義経の「ジンギスカン説」ってけっこうワクワクします(^_^)


源義経は、源平の合戦で突如登場し、
神がかり的な活躍であっと言う間に平家を滅ぼしたことで有名です。

幼名は、牛若丸
おとぎ話で、誰もが聞いたことのある名前ですね(^_^;)


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でも、華々しく活躍したのはたったの5年程度
あとは、逃避行の連続です。

奥州衣川の戦いで、
主従ともども討たれたとされていますが、

東北・北海道地方では、源義経が立ち寄ったという史跡
すごくたくさんあるそうです(^_^)

つまり、衣川で戦死することなく
実は生き延びて北国方面へ逃れたという伝説が数々あるのです。

もちろん、「判官びいき」が作らせた伝説という見方も強いのですが、
実際、史跡があるというのが興味深いですね。

義経討死説は、「吾妻鏡」という、当時の一級資料によるものですが、

鎌倉幕府の立場で書かれたものなので、
改ざんされている可能性は充分。

また、だったため、首実験では顔が判別できず
別人だった可能性も濃厚だったとのこと。

大正14年に刊行された
「成吉思汗(ジンギスカン)は源義経」という本の出版で、

義経=ジンギスカンは、巷に大流行したそうです。

悲劇のヒーロー、源義経モンゴルに渡ってジンギスカンになったなんて
・・・壮大でわくわくするお話です!

義経にしても、初期のジンギスカンにしても、
史料が少ないという点が共通しています。

生きた時期も、活躍した時期も一致している、
ジンギスカン容貌はモンゴル人とは異なっていた
義経と同じ「笹りんどう」の紋を用いていた、

などなど・・・
探せば共通点がたくさんあるとのこと\◎o◎/

想像すると、わくわくしますね!

大陸にわたったという点では、新撰組の原田佐之助
中国で馬賊になったという説も思い起こさせます。

さまざまな生き残り伝説は、
想像力をかきたてられて本当にわくわくするものです!

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徳川家康の長寿を支えた「健康法」



ダイエットブームに続き、
人々との関心が高い「健康ブーム」。


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いつだったか、誰か有名人が「健康のためなら死んでもいい」
と言っていたことがありましたが(>o<)、死んではいけません!

徳川家康は、
言わずと知れた徳川幕府を開いた人物

長命だったことでも有名です。

この時代にも、それなりに健康法というものがあったらしく、
早寝早起きだとか、
弓や剣の稽古などで、鍛錬をしていたといいます。

 徳川家康は、
医師顔負けに薬膳に通じており
少しでも調子が悪いと、自ら薬膳を整えてケアを行っていたといいます。

また、自然治癒力の効果もよく知っており、
若い頃から将軍となったあとまで、
日々の乗馬、射撃、弓の訓練などを怠らなかったそうです。

家康がよく「鷹狩り」に出かけていたという話も、耳にします。

鷹狩りは、道なき道を馬で分け入り、
弓で鷹を射るという、まるでクロス・カントリーのような
激しいスポーツです。

しかし、家康は、隠居後も健康のために鷹狩りを続けている、
という養生法を残しているそうです。

 天下をとるには、
なんと言っても健康だということを、
家康は知っていたのでしょうね。

自分の健康には常に気をつけ
天下をとるまでいかなくても、
元気で充実した毎日を送りたいものです(^_^)

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あこがれ続けた「三内丸山遺跡」についに行きました~!


縄文時代の常識を覆した、
青森県
三内丸山遺跡」、
ついに、行く機会を得ました!

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司馬遼太郎さん
「街道をゆく~北のまほろば

を読んで以来、あこがれ続けていた遺跡ですw(^_^)w



↓三内丸山遺跡公式HP
http://sannaimaruyama.pref.aomori.jp/index.html


おそらく、多くの方は縄文時代人はあまり技術を持たず、
狩猟生活をしながら転々と移住していた」と、
教科書で習ったのではないでしょうか?


でも、1994年に始まった
三内丸山遺跡の発掘のおかげで、この常識は覆されました

なんと、1500年もの長い間、
縄文人たちは、大集落を作って暮らしていたことがわかったのです。

1500年といったら、聖徳太子の時代から、現代までが
すっぽり入ってしまうくらいの長い長い期間ですよ!!

(あ、やや興奮してきたぞ、ワタシ…(>_<)

早稲田大学の吉村作治先生
「エジプトのピラミッドより500年も前に、

このような文明が日本で栄えていたなんて、
本当にすばらしいことだ」
と、おっしゃったそうです。

 三内丸山遺跡は、
今から5500年~4000年前にかけて栄えた巨大集落です。

狩猟はもちろん、
船を繰って漁へ出て
植物の栽培までしていたといいます。

また、北海道南部や、日本海側の海路を使って
新潟県、さらに太平洋側の岩手県とも交流があったそうです。

 土地を守るために、戦さが始まったのは、
弥生時代に入って米を作るようになったからだといいます。

弥生文化が流入するまでは戦争もなく
北国に暮らす縄文の人々は、他の土地の人々とも交易をしながら、
平和に暮らしてきたのだそうです

「米文化」というものが、
食の豊潤だった東北の地を変えてしまったのですね…。

 まずは、やっとあこがれの地へいけたことへのご報告まで。

これから、折々に、

三内丸山遺跡のすばらしさ
縄文時代の技術の高さ
整然とした都市計画などについて、

お伝えしていきたいと思います(^_^)v

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三内丸山遺跡その1  広さ・大きさ・時代の長さ



三内丸山遺跡レポート第一段です。


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この遺跡は、江戸時代から知られていて
当時から歴史的遺物ザクザク出ていたのだそうです。

事実、近年まで、
盗掘が絶えなかったとのこと…(^_^;)。

09.8.14.三内丸山遺跡5


時折、学術的な発掘調査もされていたのですが、
平成4年の発掘調査で、かなり大規模な集落だったことがわかり、
当時、大変話題になりました。

 その主な特徴は、広さ・時代の長さ・遺物の多さの3つ。

広さ…推定、35ヘクタールといわれています。

 1ヘクタールが、100m×100mの正方形、つまり10000m2ということ。

これの、35倍って…どのくらいなんでしょ??? 
想像もつきません!!

時代の長さ…集落は、1500年間も続きました。
その間、戦争もなく、みんなで平和に暮らしていたのだそうです。

遺物の多さ…通常の遺跡から出土する遺物の
30~40年分くらいの遺物が、
年間に出土するそうです。

当時は、海面が今より5メートルほど高く、
気温は今の仙台と同じくらいだったようです。
寒さは、今ほど厳しくなかったのですね。

それでも、衣服を作るために「編んだり」「織ったり」する技術があり、

木工技術
非常に進んでいたといいます。

15メートルもある巨大建造物大型住居のあと、
道路のなどが残り、
高い技術を持っていたことがわかっているのだあとそうです!

三内丸山の広―い空を見ながら、古代に思いをはせる…、
たまらなく気持ちよかったです(^_^)
 

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三内丸山遺跡その2 宗教施設か物見やぐらか…?大型建造物の発見!



三内丸山遺跡を一躍有名にしたのが、
集落の北西の位置に、巨大な六本柱の趾が見つかったことです。


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柱の穴直径約2・2m
深さ2m
柱の間はすべて4.2mの等間隔

そして、そこから計算される高さは、約15m

そんな柱が、整然と6本も立っていたのです。

そこからさまざまに推測されて、
こんなふうな巨大建造物が存在してたのではないかと、考えられました
(屋根があったかもしれないともいわれています)。

09.8.14.三内丸山遺跡8

物見やぐら、灯台、祭祀施設など、
考古学者の間でもさまざまな意見があるそうですが、
この建物が三内丸山遺跡何らかのシンボルだったことは確かみたいです。

素材は栗の木と考えられています

桃・栗三年、柿八年…といわれるように、
栗の発育は早いといわれますが、
15mを超すには百年ほどはかかるとのこと

縄文人たちは、
百年たって育った木を切り出してきて
森から運び
建物を建てる技術を持っていたというわけです。

また、その後の改築を考えて、
栗の木をすべて伐採するようなことはせず、
適度に残しておいたというのです。

さらに木の組み方も、まるで宮大工のような正確さ。


09.8.14.三内丸山遺跡9

それも、35cmの倍数で、
きっちり計算されて作られているのです!
(これを縄文尺というそうです)

5000年の昔から日本は、
技術大国だったんですね\(◎o◎)/

やっぱりスゴイ!…の一言に尽きてしまいます…。

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三内丸山遺跡その3 きちんと計画された施設の配置


三内丸山遺跡の集落は、
北側から南側に向かって広がっていったと考えられています。

その土地利用には、きちんと
計画されたあとがあり
集落が整然と立ち並んでいたと考えられています。

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集落の西側は人々が住む
「居住区域」になっており、
反対側の東は
墓地になっていたといいます。

また、寒い時期には大勢の家族が集まって暖をとる
大型住居跡もあります。

バラバラでは寒い集まった方が温かい
ということを知っていたんですね(^_^)

集落には
が作られ、きちんと整地されているそうです。

海産物をとりにいく海への道は、はっきり残っており、
最近では、南に向かう
別の道も発見されているといいます。

また
、「盛土(もりど)」といって
ゴミを捨てる場所もありました。

それも生ゴミを捨てる場所
宗教儀式に用いた残骸を捨てる場所は
きちんと分けられていました。


また、集落の北の方には、
土器や石器などの
生活廃棄物が捨てられていたとのこと。

時折
整地して
単に山積みにするようなことはなかったといいます。

ゴミをきちんと分けていたのは、
感染症などを防ぐための
生活の知恵だったという考古学者もいます。

今とちがって医療のない時代
暮らしの中で工夫を重ねて
生活の知恵を獲得していったのでしょうね…。

まだまだ、細かく説明したいところですが、
今回のレポートはここまでにしておこうと思います。


縄文人の賢さ、
 技術の高さ、
  平和に暮らした知恵や、
   病気から体を守る知恵など…


とっても、とっても勉強になりました!
日本人のルーツ
にこういう人たちがいたことを
誇りに思います!

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昔の人が子どもをたくさん生んだわけとは?



今は少子化が問題になってますが(>_<)、
昔はとにかく兄弟が多かったですよね(^_^)。


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第二次世界大戦前までは、
「生めよ、増やせよ」が、
国策だったというのだから驚きです\(◎o◎)/

昔は、今のように医療がしっかりしていなかったから、
免疫力の弱い子ども亡くなる可能性が高かったのですね。

だから、必然的たくさんの子どもを生んだ、というわけです。

江戸時代には「7歳までは神のうち」といって、
子どもが7歳になるまでは「まだ人間ではない」と、
言われていたそうです。

人間の世界をちょっとのぞいて、
7つになる前にまた天に戻ってしまうということなのですね。。。

そういえば、三内丸山遺跡に行ったとき、
埋葬の仕方大人と子どもでは違っていたことを思い出しました。

大人は体を伸ばした状態の土葬ですが、
子どもは体をかがめて甕の中に収められていたそうです。

意味ははっきりしませんが、
やはり小さな子どもは再生すると考えられていて、
大事に甕に入れていたとのことです。

そんな話を知ると、
今の日本の子どもも、いろいろな問題を抱えていますが、

多くの子どもは「食べていける」わけだから、
ぜいたく言えないのかな…なんて、思ってしまいますね(>_<)

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メルマガ「ドラマティック日本史入門 」を発刊しました!


この度、メールマガジン

「ドラマティック日本史入門
~歴史は人間ドラマの積み重ね!~

を、出しました。

仕事が忙しくて、なかなか発刊に至らず(>_<)
随分、時間がかかってしまいました!!


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歴史を「単なる暗記科目ではない視点から、
いろいろなエピソードを盛り込んだ、
読んで楽しい雑学メルマガにしたいと思ってます。

だいぶ、苦労しましたが(^_^;)なんとか、
ブログパーツも貼り付けてみました…。

メルマガ宣伝のため、同時に、
無料レポート

 戦国武将に学ぶ「人心掌握術」
http://mailzou.com/get.php?R=28030

も発刊しました。

無料ですので、よろしければ
こちらだけでもご覧いただければ幸いですm(_ _)m

今日は、これで一日つぶれてしまいました(>_<)
はあ~、疲れた…(^_^;)

っっって、仕事しろよっ、と、
自らつっこんでますけど~(ToT)

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「足利義昭」という人、けっこうがんばってたのか…



メルマガの原稿を書くため、
最近、室町幕府の最後の将軍

足利義昭」のことを調べていました。


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最終的に、織田信長
利用されてポイッと捨てられてしまい、
室町幕府を終焉させてしまった方ですが…。

でも、その運命はかなり数奇です。

いったんはになったものの、
将軍である兄とその母が殺されてしまい
還俗します。

本人も1度は幽閉されますが、他の大名に助け出され、
室町幕府の再興を図ろうと思うわけです。

信長に利用されたことに気づいたあとは、
自ら複数の有力大名に協力を求め
いったんは信長包囲網を作るところまでがんばります。

でも、武田信玄の死という、
不幸なできごとが起きてしまいました。

そして、信長に完全追放され
歴史の表舞台からは、消えてしまったのです。

しかし、最後の将軍というのは、
歴史上どうしても悪者になってしまいがちですね

「情けない」とか「頭悪い」とか、
いうイメージがついてしまうのが、ちょっとかわいそうです。

彼は、彼なりに必死で命を永らえ
将軍のプライドを持って、幕府の再興を願い続け、活動しつづけました。

そのパワーは、とにかくとにかく、
強いものだったのでは…と、想像されます。

一つのことを調べるたびに、歴史の教科書って、
本当に本当のことを教えてくれていないんだなあ
って、改めて思ってしまいます(>_<)

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中国で馬賊になった?!新撰組「原田佐之助」


私はご多聞にもれず、
司馬遼太郎先生
「燃えよ剣」を読んで、
新撰組にのめりこみました(^_^)v


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なので、始めは土方歳三の生きざまに
非常にあこがれていたのですが、

新撰組関連の本を片っ端から読んでるうちに、
試衛館メンバー」のさまざまな個性を知りました。

 彼ら一人一人にさまざまなドラマがあり、
今は新撰組ファン」という感じになってます。

その中で、おもしろいな、と思っているのが
原田佐之助最期です。

原田佐之助は、明るく人懐っこい性格だったものの、
非常に短気な面もあり、
型にはまらない豪快なキャラクターだったようです。

新撰組では常に、しんがりを務め、
局長の近藤勇
非常に信頼されていたといいます。

やがて近藤勇、土方歳三とたもとを分かった後、
永倉新八会津を目指しますが

突然「俺は、やめた。家族のところに帰る」

といって江戸まで戻り、上野戦争に巻き込まれて、
29歳で亡くなった……というのが、定説です。

 しかし、彼には、興味深い「生き残り伝説」
があるのです。

佐之助は、中国にわたって
馬賊の頭目になった
…と、いうのがその話です。

日清・日露戦争では、後方から日本軍を支援し、
一時は愛媛新聞の記者佐之助を表彰するために、
彼を探しまわったことすらある……というのです。

また、佐之助が明治40年ごろ
故郷の松山に戻った
という話もあるそうです。

突然、実の弟の家に現れ、
金品を大盤振る舞いした末に、

「ここに長くいるのは気兼ねだ。俺は満州に帰る」

といって、また、突然に去っていったとのこと。

これは、伊予松山藩士だった内藤素行という人が、
伊予松山の歴史を残す会合の中で語った内容なのだといいます。

その後、具体的な史料なども出ないため、
一般的には異説・伝説であるとされています。

でも、新撰組「暴れん坊」佐之助が、
馬に乗って大陸を駆け巡っていたんだとしたら、
なんともわくわくしませんか?

ひたすら馬を駆って大陸を自由に走り回る馬賊の頭目
……こんなに彼に似合う、勇壮な姿はない

と私は密かに思っています(^_^)

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政治に利用され続けた~日本の仏教って…??



日本に仏教
やってきたのは、
6世紀の半ばごろ


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朝鮮半島経由
日本にやってきたと考えられています。

もともとは、「神の国」と、されていた日本ですが、

政治的な意図がからんで、
仏教朝廷に公認されるようになります。

たとえば、仏教文化は、
進んだ技術をもった「渡来人」も
同時に連れてきてくれました。

また、聖武天皇のころ(奈良時代)には、

仏教を中心に「鎮護国家」という政治政策が推し進められ、
仏教を利用した「中央集権体制」が整えられました。

聖武天皇
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E8%81%96%E6%AD%A6%E5%A4%A9%E7%9A%87/

日本における「仏教」は、
ずいぶん、政治に利用されてきたわけです。

室町時代ごろからは、
寺院がその領地を守るために武装し
僧兵」が力を持ちます。

人々を救う」はずの宗教が
戦う」ものになってしまったのですね。

欧米でも、中東でも「宗教戦争」というものが起こりますが、
これはいったい何なんだろうと思ってしまいます。

本来は、人々の平和・心の安らぎ
求めて宗教って始まったものなのではないか? 

それが、いがみ合いの原因になるってどういうことなんだろう
……と、首をひねってしまいます。

明治維新には、「日本は神国である」という、
かなり無理な論理で「廃仏棄釈」運動が起こります。

廃仏毀釈
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%83%E4%BB%8F%E6%AF%80%E9%87%88

もう、ムチャクチャですね。

歴史の変遷を経て、
今の日本では宗教の自由が得られるようになりました。

私は無宗教なので、
お寺で説法を伺うと心和むものがあり

クリスマスに教会で牧師さんのお話を聞くと
なるほど、なるほど、と思ってしまいますが…(^_^;)

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ロベルト・ジーコ・ロッシさんのブログ「政治の本質」ご紹介



私のメルマガを購読して下さっている、
ロベルト・ジーコ・ロッシさんのブログ

「政治の本質」
http://yangkuma.blog81.fc2.com/

を紹介させていただきます(^_^)


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ロベルトさんは、私と同様、
歴史は暗記科目ではない。ドラマである
と、考えてくださっています。

歴史は、人々が生きてきた証しです。

また、一方向からだけでなく、
他方向からの側面を考える必要があります。

勝った者正義で、負けた者悪者
決して、そんな単純なものではないのです。

教科書で覚えたことが、
すべてではありません


ロベルト・ジーコ・ロッシさんは、
明智光秀が織田信長を倒してくれなかったら
今の平和な世の中はなかった、と言い切っています。

それは、信長が生きていたら、
必ず大陸征服に乗り出したからです。

これは、拙ブログにリンクしていただいている
黒田裕樹さんも、おっしゃっていたことです。

黒田さんブログ
http://rocky96.blog10.fc2.com/

私も、同様に信長が生きていれば、
明(当時の中国)征服に乗り出したと考えています。

こうして、いろいろ想像していくと、
歴史って本当におもしろいですね。

今までの、多くの人々が積み重ねてきた経験は、
必ず現代の私たちの生活に
生かせるはずだと思っていますo(^_^)o


ロベルト・ジーコ・ロッシさんブログ 「政治の本質」
http://yangkuma.blog81.fc2.com/

同メルマガ
http://archive.mag2.com/0000288345/index.html

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「愛」の直江兼続、その意外な判断


大河ドラマ「天地人」も、
クライマックスの関ヶ原を過ぎ、
あとは消化試合(!?)と、いったところでしょうか(^_^;)


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「愛」を旗印に掲げた兼続ですが、

これは戦いの神
愛染明王」か「愛宕権現
からとったといわれています。

いわゆる「愛情」の意味ではないというのが、
歴史家の一般的な見解なんですね。

素直に大河を見ていた方には、
申し訳ない気持ちになってしまうのですが(>_<)

さて、その直江兼続。

実は偽政者としては、
こんな厳しい面もあったというお話です(^-^)

兼続の部下、三宝寺庄蔵という者が、
さほど大きな罪を犯していない下人(下働きをする者)を、
誤って斬り捨ててしまったそうです。

兼続はその話を聞き、
遺族に金銀を与えてなだめましたが
怒りの収まらない遺族は

亡くなった家族を返して欲しい」と、
しつこく、くいさがったとのこと。

そこで兼続は、
殺された下人の兄・伯父・甥を呼び、

「それほどまで言うなら、
閻魔大王への使者となって死人を呼んで来い

と言って、
遺族3人の首をはねてしまったそうです(>_<)

無茶な言い掛かり
一国の家老が屈しては、示しがつかない

ということを、
周囲に伝える意味もあったそうですが、
やはり、戦国武将、苛烈ですね~(*_*)

そして、この話は大河ではやらないでしょうね~(^_^;)

またまた、素直に見ている方には、
刺激的でゴメンナサイ(ToT)

でも、封建社会というのは
そういう時代だったのです。

私たちは、そんな
理不尽」な時代に生きていないことに、

もっと感謝しないと
いけないのかもしれませんね (>_<)

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琉球(沖縄)空手が始まった、「つらい歴史」



私は最近、空手を始めましたが、
うちのは以前から空手をやってて、
すでに黒帯さんです(^_^)

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その夫から聞いた話なのですが……

空手発祥の地は沖縄

それには、薩摩の琉球支配
関係しているのだそうです。

薩摩は、琉球の人々が反乱を起こさないように
武器をすべてとりあげてしまいました。

しかし、人権なんてまったくなかったその当時
(戦国時代のころですね)、

支配する側は、武器を持たない人に向かって、
簡単乱暴・狼藉を働いていたとのこと(>_<)。

そこで、沖縄の人々は、
武器を持たなくても戦える方法

つまり

「空の手」=「空手
」を

編み出したのだといいます。

深夜、薩摩の役人の目を盗んで、
一人二人と指導者のもとに通い、
静かに空手沖縄の人々の間に浸透していきました。

近年は、組み手(試合)を中心とした
本土空手」が主流となっていますが、
形(かた)を重視する空手のルーツは沖縄です。

沖縄空手にも、いろいろな流派があるそうです。

中国とも交易をしていた沖縄に、
中国のカンフーが混ざって
唐手」と、呼ぶところもあるのだとか。。。

いずれにしても、
空手は相手を倒すものではなく

もともと、自分たちの命を守るために、
武器を持たずに始まった武道なのだ、
ということです。

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小野妹子の前に、すでに「遣隋使」がいた!?



少し前になりますが・・・・・・
ガスパッチョのCMで女性姿の

小野妹子」が、
主人公の妻夫木聡さんに甘えるシーンがありましたね。


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小野妹子って、女じゃないだろ」と、
妻夫木さんがつっこんでいましたが、

妹子って、言われたら女の子かな、
と思っちゃうかもしれませんね(^_^)

本物の小野妹子(おのの いもこ)は、
もちろん男性で(!)

日本で初めて中国へ派遣された遣隋使
日本最古の史書「日本書紀」に記されています。

日本史を選択した方は
607年遣隋使小野妹子」と、暗記したはず(^_^)

今から1400年も昔の話です。

ところが、「隋書」という中国の書物には、

その7年前の600年に、

大和朝廷
正使を派遣してきたと

しっかり記されているのだそうです。

つまり、小野妹子は、
日本初の遣隋使ではない、ということなのです。

中国の「隋書」には載っているのに
日本の「日本書紀」には載っていない・・・・・・。

それはいったいどうしてなのか?

600年に派遣した遣隋使に、
隋の皇帝は日本の風習などを聞き、

日本は未開の野蛮な国である」と、

決め付けたのだといいます。
まあ、要はバカにされちゃったんですね。

これは、まさに日本の恥! 

というわけで、日本書紀には載せなかった・・・、
いや載せたくなかったんです(^_^;)

それが、1400年もたった現代にまで伝わり
相変らず受験生は

「607年遣隋使小野妹子と、
暗記することになるわけです。

今に伝わる歴史なんて、

こんなつまらない感情論
ゆがめられてしまうものなのです。

真に受けちゃいけないこと、
歴史の中には本当にたくさんあるものです(^_^;)

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